T-Photography

写真をもっと考える。

5年後が分からないのは希望

 

5年後の自分へ、と言われても、実際言いたい事はなかったりする。

というのも、5年というのは、あっという間に過ぎるけれど、思っているよりは長い。想像できるようでいて、全然想像できないし、何も想定できない。今のまま、5年間も過ぎるとは思えない。

 

5年前を思い出すと、それはあっという間だと感じるけれど、でも5年前と今ではいろいろ違い過ぎるから、そう思う。

 

 

5年前というと、ちょうどけっこう生きるのがしんどい時期だった。東京の予備校を辞めて実家に帰り、一応はアルバイトをしながらも、精神的引きこもりのような感じだった。

じゃあ、例えば、その3年前はどうだったかというと、それは高校生の頃で、いろいろな希望を漠然と抱いていて、まあポジティブな時代だった。

その前の中学時代はどうかといえば、思春期に突入して、小学生の時のようには、周りと仲良くできない感じになっていた。

でまあ、今はと言えば、思春期の頃に思い描いていたのとはまったく違う感じで毎日生きている。良い悪いを判断することができないくらい、それまで考えてきたこととは違う基準で生きている。

 

我ながら、コロコロと心境が変化しているなぁ、と思う。

いや本当に、僕はわりと平凡な人生を送っている方だと思うけれど、それでも5年は長い。5年あればいろいろ変わる。

そして、5年あればいろいろ変わるっていうのは、実は希望だったりするのだと思う。

 

それこそ5年前、何もやる気がなかったところから、もう一度やる気を出して大学受験に向かう時にも、この「先のことは分からない」という感覚が心の支えになっていた。

高校生の頃はあんなに希望に満ちていたのに、たかだか2,3年でここまでダメになってしまうのか、と当時思っていた。しかし、これは絶望的な展開である一方、たかだか2,3年でここまで落ちるということは、たかだか2,3年で上がり得るだろう、という風にも考えられた。

結果的に、その当時よりは全然良い状況に今はいる。

 

もちろん、またダメになることもあるだろうし、そしてまた良くなることもあるだろう。

 

ネガティブになっている時って、過去を元に未来を想定しようとする。

「今までこうだったのだから、これからもこうだろう」という風に。

5年前の僕は何もなかった。楽しみもなかったし、学歴もなかったし、友達もいなかったし、趣味もなかった。もちろんカメラも持っていなかった。当然生きるのが嫌だった。

そうすると、「今まで生きて何も持てなかったのだから、これからも何も持てないんだろう」という風に考え始める。今日みたいに明日も生きるのが心底嫌になる。これがずっと続くのかと思うと、本当に嫌になる。

 

でもまあ、実はそうでもなくて、生きていると全然新しいことが起きたりするし、新しい価値を見つけたりする。

例えば、当時「友達がいる」っていうことは、僕にとってはけっこう重要なことだった。だから、友達がいないのは辛かったし、友達を作れない自分はダメだと思っていた。

でも今では、生きることに友達は必須ではないと思っている。いた方が良いだろうけれど、別にいなくてもいいと思っている。そうすると、問題を解決するどころが、問題自体が溶けてなくなってしまう。

逆に、当時はそこまで楽しいと思えることは何もなかったが、今は写真を撮っていると心底楽しい。

写真を撮らない人生を今や想像できないけれど、よくよく考えたら、写真撮り始めたのなんて、ちょうど2年前くらい。5年には程遠い。

「写真を撮らない人生なんて想像できない」という考え方を今の僕がしていること自体を、5年前の僕は全然想像できていない。そんな楽しさを、人生の中で味わうであろうことなんて、まったく知る由もない。

 

5年前の自分と今の自分が、全然違うように人生を捉えているのだから、5年後の自分もきっと今とは全然違う価値の軸を持って生きているだろう。そうすると、今の僕がその人にかけられる言葉はない。

とにかく「良くも悪くも先のことは分からない」っていうことだけ忘れないでいれば大丈夫なんじゃないかと思う。

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